かむりの里 歴史

政宗の愛した風景

伊達家と関わりの深い根白石

伊達政宗は初代仙台藩主となる前から根白石と関わりを持ち、藩主となった後も根白石に対して特別な感情があったのでは、と思われる行動があったと思われます。戦国武将として有名な政宗ですが、戦いが続く戦国時代から、江戸幕府が開かれ平和な時代となって藩主として藩政に力を注ぐ時代など、それぞれの時代で根白石とつながっていました。

 

「伊達一」家族を住まわせたい風景

政宗の祖母が住んだ場所
現在の「宇佐八幡神社」は、政宗の祖母・栽松院が晩年を過ごした場所として知られています。亡くなった後は、その場所に宝積寺(ほうしゃくじ)が営まれました。栽松院は、母の愛情薄い孫の政宗を必死にかばい、政宗を守るために毒見役さえ付けたともいわれます。現在も、宇佐八幡神社には栽松院の墓があります。
 
政宗の母が住んだ場所
母である保春院が、満興寺内にある根白石御屋に住んだのは元和8年(1622)。実家である最上家に住んいた保春院ですが、最上家の改易に伴い引き取ったとされます。いろいろ確執があったといわれてますが、政宗にとって大切な母を迎えるにあたって相当な数の足軽や輿を最上へ派遣し、御仮屋では掃除や改修が行われました。それらの人足は、根白石・朴沢・福岡・小角・実沢の五カ村から出されました。

 

「伊達二」政宗の正月を思い起こす風景

仙台城の門松を用意する場所
根白石は仙台城に飾る門松材料を納める村で、藩政の初期からの「吉例(めでたいしきたり)」でした。8人の「御門松上げの人」が指名されていました。8人の「御門松上げの人」が指名されていました。政宗が描いた門松の絵はかつて根白石見られた門松の絵は、かつて根白石とよく似ており、根白石から門松材料を納めさせるきっかけは政宗が岩出山から仙台城下に向かう途中で、根白石のお正月風景を見た可能性があるかも、という資料もあります。

 

「伊達三」政宗が好んだ風景

鷹狩に訪れる場所
政宗は鷹狩や川狩が大好きで、領内の視察をかねて各地で行いました。60歳を過ぎてからも、根白石に川狩に訪れている記録が残ります。

栽松院の墓


 
現在の墓石は、享保17年(1732)伊達吉村が建てたもので、「栽松院殿月盛妙秋禅尼大姉」と刻まれています。春には桜が咲き誇り、気持ちのいい花見スポットにもなっています。

笈分阿弥陀如来


宮城県の重要文化財に指定。この像を安置するため、貞亨5年(1688)伊達綱村の寄進で建てられた阿弥陀堂は近年焼失したが再建されています。

乾徳山 永安寺


政宗の子・伊達忠宗がこの地で狩りをした際、眺めの良いこの場所を見つけ、松島瑞巌寺中興の祖・雲居(うんご)禅師を招き建立しました。伊達家代々の非常時の忍び所で、そのための旅の支度が備えてあったと伝えられています。 

大満寺


伊達政宗・忠宗に仕えた、仙台藩家老・古内主膳重広の菩提寺。仙台北部平野の新田開発事業など多くの功績を残し、忠宗藩政を筆頭家老として支え続けてきました。霊廟のほか、本堂には「古内主膳重広公木像」が安置され、当時の様子を偲ばせます。

その他の歴史的見所

弘安の碑


 
泉区最古の板碑。作られたのは弘安8年(1285)とされ、別名「縛り地蔵」とも言われています。

(なりがみ)神社


稲作に恵みを与える雨乞い祈願や落雷よけのために建立。根白石一帯が見渡せるビュースポットです。 

鷲倉神社


現在の神殿は伊達政宗の時代のもの。境内には樹齢400年といわれる姥杉が立ち、荘厳な雰囲気に。 

亀の子石


その昔、この石で地蔵を作ろうとしたが何度も彫っても翌朝亀の形に戻るので、あきらめた・・・との伝説が。 

熊野神社


八乙女氏が国分氏の没落後、実沢八乙女館に勧請したと言われています。