かむりの里の物語《13》

福岡の鹿踊・剣舞

福岡の鹿踊・剣舞

泉区福岡中在家に残る多くの古文書によれば、藩制時代には八幡町龍宝寺の塔頭(たっちゅう)。東光院が鹿踊・剣舞や田植踊等の庶民の芸能を管理しており、その八幡町の誦大将藤九郎が鹿踊・剣舞の始相とれています。その藤九郎から宮町やjll前(l日宮城町)、そして福岡、上谷刈(かみやがり)、野村、朴沢の4ヶ村(現在の泉区)等のほか、仙台周辺の村々にまで伝わったといいます。
福岡中組(福岡地区の中心で泉、城の内、川崎の三集落)には、慶安2年(1649年)に剣舞が、少し下って鹿踊りが伝えられたとあります。
仙台鹿踊・剣舞の中でも、特に八幡堂系と呼ぱれるこの系派は、岩手県江刺地方の鹿踊伝書や口伝によると、岩手県南から宮城県北に広く分布する鹿踊の流相ともされており、元和元年(1615年)伊達秀宗が四国宇和鳥藩に分封した際に移転した鹿踊も同系のものと思われます。鹿踊・剣舞を一対として継しており、お盆の祖霊供養に新盆を迎えた家を主として各戸を踊り歩いたほか、作祭りなどにも踊られた。すでに野村、朴沢の鹿踊・剣舞は失われており、福岡の鹿踊・剣舞もこれまで幾度となく中断・復活を繰り返し、昭和32年(1957年)に現在の保存会が結成され、活発な活動が行われています。
昭和51年からは地元の福岡小学校の授業に取り上げられ、5・6年生の児童たちにも受け継がれ、地元の伝承まつりなどで発表されています。

福岡の鹿踊・剣舞